原付三人乗りでトンレサップ湖からシェムリアップ、超ドープなバスでシェムリアップからプノンペン、
寝てない。昨晩あんなにベロベロだったのに、そのままベトベトの肌で朝を迎えた。水の出る方があればいい。汚くてもお湯がなくてもいい。
けど、そこは水が漏れてる程度の水圧だった。持つ高さが高いほど出ない。頭の泡はしゃがんで流した。
朝ごはんはコンビニでインスタントのコリアンラーメンを買ってたが、それは焼きそばだった。お湯は近所でもらった。パッケージ黄色なのに激辛。口から胃まで全部痛い。
ここでもう一泊するという話も出ていたが、出たくなった。二時間くらい考えてから出た。昨日の水上レストランは入場料がとられる何かになっていて意味がわからなかった。
トンレサップ湖を船で渡ろうと考えていたが、乾燥の時期に横断する船は出ていないと誰に聞いてもそう言われた。
バスを探すを探すために街に行かなければならない。トゥクトゥク圏外なので、ヒッチハイク。超イージーだった。すぐに原付の男が止まって三人乗りでツアー会社まで連れていってくれた。
距離的には3ドルで行けるがトゥクトゥク圏外だと知っていたので、20ドルと言ってきた。そこはちゃんと話し合って6ドルまで下げた。
ピックアップ待ち。リッツと水を買って、韓国料理(アイスティー頼んだらグリーンティーだった)食って時間通りに帰ってきた。約束の時間が過ぎても来ない。なぜ来ないのか聞いてみるが、今向かってると言われる。
トゥクトゥク(特大)が来た。もうバスの出発時間も既に30分過ぎているが、誰かと電話しているので、その電話で遅れていると伝えてくれてることを祈る。
その時、めちゃくちゃ眠かった。バス停に着くとシルバーのバンが止まってた。数人の男がこれに乗れと言う。これは寝台バスではない。契約と違うと言い張った。目が覚めた。そこにいる人は英語がわからないのでツアー会社に電話してくれた。バスは故障しているって、、、笑
そんな訳ない。どうにかしてくれと、言うだけ言って電話を切った。数分後彼らは道路の方を見ていて、オーケーと言うような目で見てきたのがわかった。
赤いボロボロのバスが来た。中は10人くらいいて後ろのはナッツの袋が大量にあった。そしてめちゃくちゃうるさい。ただでさえクラクションがうるさいのに、大音量でゲームしてる奴とか喋ってるやつばっか。クメールソングが耳につきまくってた。
それを7時間。深夜1時、首都プノンペンに到着、大雨。3月のカンボジアでは珍しいことだ。
ホテル満室、次、ブッキングドットコムで探す。場所を騙された。再度、グーグルマップで検索して探し当てた。大雨だったので迅速に対応
またもやフリーアップグレード!!!
3台ベッドを勝ち取ったーーーー
そして深夜のピザ。ケーティーペリー(ピザ屋)
そろそろ寝よう。
トンレサップ湖の水上レストラン
今日はワニを食いたい🐊
とワニがいそうなトンレサップ湖に行く。レストランを検索してトゥクトゥクを呼んだ。少し田舎に行くと本当に何もない。屋根が機能してない家、雨季で水位が上がった時を考えて設計されたであろう家、水上に浮かぶ藁の家、竪穴式住居みたいな家がポツポツあるくらいでそれ以外は畑か水たまり。
湖まであと3キロの地点でトゥクトゥクが止まった。これ以上先へは行けないと言う。理由はわかりきっていた。船が儲けることができなくなるから。限界まで行って欲しいと頼んだ。結局怒られたが、あいつはいいやつだったので、そのままそれに乗ってまたダウンタウンに引き返した。片道分の料金で往復してくれた。その時に見た景色が好きだった。と暑すぎて吸い込まれたお洒落な冷房ガンガンのレストランと冷静に考えた。
今日はトンレサップ湖の行き道にあった水上に浮かぶ藁の家で泊まろう。見つかるわけないと思うが、ブッキングドットコムで探す。すると、それらしいのが一件あった。アゴダでも一件あった。町から離れてる方を選んだ。GRABを使って、そこへ向かった。
周辺まで来ても、地図の場所に宿らしき家はない。船を作ってる工場でその宿を知ってるか聞いてみることにした。気になったのは犬と三、四歳の子供二人、片方はパンツ、片方はシャツのみを着用してる。お姉ちゃんかお母さんらしき人が出てきてなんと、普通に英語を話した。聞きまくった。めちゃくちゃ協力的で宿に直接電話してこの工場までピックアップをよこしてくれた。
おっさんとバイク一台、男女二人共に10キロの荷物持ち、この三人乗りは無理だと思った。けど余裕だった。そこから三人乗りにそれほど抵抗がなくなった。
宿は、水上に浮かぶ藁の家の前だった。泊まるのは部屋は普通。ベッド一台、扇風機、清潔感はなかったが、ヤモリが何匹かいた。全然気にならない。だって水上でカエルと寝ようと思ってたからちょっと残念なくらい。
荷物を置いて速攻、水上に浮かぶ藁の家が何なのか確認に行く。中にはハンモックと机一台、その上にカゴがあった。それが数十個あって、誰もいない。と思ったが奥に何人かの若いローカルっぽい子達がいて、ここが何かを尋ねた。
レストランと言う。その時ちょうどお腹も空いていてここで食べることが決まった。
適当な場所の中に入った。テーブルに置かれたカゴの中には飲み物が入っていた。壁にはクメール語で書かれた文書と番号。一か八かでそこに電話した。合ってた。来てくれるらしい。
遠くからメニューを持ってきてくれた。初見のレストランはオーダーに時間がかかる。メニューを持ってきた彼女はオーダーを待っている。ビールを注文して、持って来てもらう時に料理をオーダーしたいと伝えた。
そのすぐあと、花火のような音がした。やっぱり花火だった。最高のサプライズ、花火と聞くと思い出してた嫌な思い出が上書きされた。泣いた
ロックラック(サイコロステーキ)を食べた。カンボジアは10歳くらいの子供も働いている。そこの会計もそんな女の子だった。
その帰り道、宿の主人がテーブルを出して仲間と飲んでた。もちろん乱入する。クソおもろかった。カエルは余裕だったけど、鳥の頭は気分悪かった。ビールもいっぱい飲んだ。ゲイっぽい人が働く大切さを語ってて、ノーマネーノーハニーと言ってた。
。
明日、トンレサップ湖を船で渡って向こう岸まで行きたいと相談した。今の乾燥している時期は船がないと言ってた。今朝、周辺まで行った時も聞いたが川から湖へ出る船しかないと言われていた。仕方ない。これは諦めてバスにしよう。
アンコールワット 〜天空の寺院、プレアビヒア
午後12時頃
近所のレストランで腹を満たした。話かけてくるトゥクトゥクに話を聞いて“アンコールワット”について情報収集する。
- 歩いては行けない
- 遺跡とチケットブースが別の場所にある
- アンコールワットの周りにはアンコールトムなど様々な遺跡が他にもある
を知った。
GRABを基準にして聞き込むが、それより安い手段はなかった。
チケットブースまでとアンコールワットまでを別々でGRABを利用した。
確かそれぐらいだった。
感想: カンボジアの暑さを舐めてた。遺跡が広すぎて登山くらい過酷だった。水は必須
驚くべきことに、アンコールワットより隣にあるアンコールトムがかなりでかい。奥まで行ったら完全にバテた。帰りは潔くその場にいるトゥクトゥクに頼る。圏外でGRABを使えなかったから。
夜は、マッサージ一択だったよ。
プレアヴィヒア寺院にどうしても行きたい。車をチャーターする必要がある。三人いるからこそ行ける場所。
ゲストハウスにて、120ドルでタクシーを一日チャーターした。
朝6時に出発。田舎に行くにつれ英語がなくなっていく。なんとなく少し怖く感じた。
片道四時間以上。タクシーは麓までしか行けない。麓から寺院まではモーターバイクタクシーで行く。5ドル。急な坂をノーヘル、ニケツで登っていく。あれはたぶんアトラクションだったんだろう。帰り、下りのスピードは特に凄かった。
天空の寺院、プレアビヒア到着
遺跡詳しくないから何もわからんかったけど、良かったよ。でも、頂上には猿がいっぱいいて近づいてくるヤツもいた。追いかけて引っ掻いてくるから逃げるように去った。
夜は、近所のレストランでず長々とたわいない話をしてた。愛とか恋とか家族とか価値観とか。
カンボジア初日 ー シェムリアップで怪我。トゥクトゥクと喧嘩。
始発で関空へ向かう。
預入荷物なし。手荷物の重量とサイズの測定もなく通過。この航空会社はビキニのCAがいるとの噂があったが、そんな人いなかった。でも制服は他の航空会社に比べてお洒落に感じた。赤と茶色のチェック
ハノイ、ノイバイ空港経由
入国審査は厳しい印象を受けた。ベルト、アクセサリーだけでなく靴まで全員脱がせられる。
数時間のトランジット、ただ免税店が立ち並ぶ搭乗口の前、アメリカーノを片手に友達と電話してた。その時は、何もないように見えてた。
記入することが多くて、少し混んでいたからか、思ったよりビザ取得に時間がかかった。旅をするにおいて、待ち時間は覚悟していた。
入国を終えて、ホテルのピックアップを探す。外はジメジメしていて生暖かい風が一気に喉を通った。
自分の名前の書かれた紙を持った男が立っているのを見つけた。英語が堪能で気さくなカンボジア人と待ち合わせしてた二人の女性を迎えにいく。結構待ったらしい。でも、元々到着時間が一時間は遅かった。だから想定内。
この時、すでに午後8時、外は暗く、完全にオレが遅刻したムードで旅が始まる。全員揃うと、彼は明日の予定について尋ねる。アンコールワット。あまりにも時間指定をしたがったから適当に朝にしといた。
トゥクトゥクでホステルへ
荷物を置いて速攻、パブストリートにかちこむ。
普段飲まない量のアルコールを飲んで踊った。
辛うじて部屋に帰る。温度、湿度ともに常にハイの国、カンボジアはシャワーを浴びたくさせる。
バスルーム、水かけ悪すぎて普通にこけた。目の上が切れて血だらけにだったことも言われるまで気づかないくらい酔ってた。
次の日の朝、というか昼、もちろん二日酔い。
時間だけ決められて、値段がわからない口約束していたツアーをブチっていることは微かに覚えていた。案の定怒られた。キャンセルを申し出ると待ってた時間の分金を払えと言ってきた。払うわけない。
俺は自分の足でアンコールワットに行く。
パタヤの喧騒
この日は唯一、ろくに夕日見れない、晩御飯も食べることもできなかった。バナナは食べたけど、笑
お互いに別々の夜を過ごしす。ジュンは海を見ると言って部屋に帰った。俺は海沿いの売春婦に愚痴っていた。この日の夜が一番長かった。騒がしい街がスローモーションに見えて、失うものなど何もないように思った。
朝になると、喧嘩してなどいられないとわかっていた。最高と最悪の状況の目にも留まらぬループ。0と100を行き来してて喜怒哀楽、すでに感情を使い果たしていた。
部屋を去って、バンコク行きの遠距離バスに乗る。
そこで気づいた、セキュリティポーチをつけていない。
パスポートとカード、最後の100ドルが入ってる。失くしたら終わる。ここから帰れないくらいじゃすまない。でも俺は大きい方のカバンに入ってると信じてグッと目を閉じた。
結果あったから笑えたけど、無かったら一週間は所持金数十バーツのホームレス確定だった。
やっと空港について
恐る恐る航空券の予約を確認すると、“このフライトはもう飛んでるので確認できない。”と表示された。
この時もうすでに鋼のメンタルを手に入れていた。
XW112は俺を乗せて、高く飛んだ。
飢餓状態で至福の島 ー ランに到着
バンコクを出ると決めてチェックアウトを済ます前に、ゲストハウスで洗濯だけしといた。両替に行って、まずはパタヤまでのバスターミナルに向かう。
両替は、日本円から替える時よりもUSドルの方がレートがいい場所が多かった。というか大手でもレートが高いのがUSで、日本円を高いレートで替えてくれるのは小さな店が多かった印象。
バスは一人108バーツ。かなり安い。一人分のスペースが広い快適なバスだった。
パタヤに着いた。猛暑と腹痛により、速攻トゥクトゥクのデカイヤツを相乗りして港へ向かった。その時まだパタヤの凄さに気づいていなかった。
とりあえず腹が減ってた。すでに18時。今日はパイナップルしか食べてない。しかも二人で一個だったから力が出なかった。
ラン島に到着。
すべてに圧倒された。盛らずに天国みたいな島
バイクを一人または二人または三人で乗って
ところどころにマーケットとレストランがあって
小さい島なのに、ビーチが5個もある。
一人1000で二泊、バイク付きのゲストハウスを聞き込みで見つけた。観光客向きではないレストランとバーの隣にあった。ここがまた最高だった。その日の夜はバイクで反対側のレストランまで行って隣のバーで飲んだ。
いい出会いがあった。タイ語もいっぱい覚えた。
そんな夜の次の日の朝はサンライズどころではなかった。昼過ぎまで寝てた。
起きたら水もお菓子も全部なかった。
とりあえず飯。これがめちゃくちゃ多い。笑
名前の知らない料理を毎日食べてる。
よし、腹を満たしたらやっとビーチ。
昨日よりもゆっくり時間が流れる。
泳いで、サッカーして、かなり疲れた。
夕日が綺麗だった
また腹も減った
適当に入ったレストランが食べ放題だった。299バーツ(1000円)
鍋と焼肉を同時にできるタイ料理
この日は仏教の日つまり禁酒の日。レストランからアルコールが消え、バーが閉まっていた。
でも俺たちは飲む。感謝は忘れない
惰性でアユタヤ遺跡巡り
昨晩、まるで何もなかったように空は晴れてオレ達はゲストハウスで目を覚ます。感情を使い果たしてしまったのか、うまく笑って話せない。身体は確かに無事でも、財布と止まったクレジットカードを意識してしまう。所持金は300USD。二人で五日間生きるには十分だが、どうやって楽しむかが重要になる。
バンコクから出たい。もう街も人もうんざりだ
観光でもしてテンションを上げようと、アユタヤ遺跡を選んだ。電車、バス、安く行く方法は存在したが、タクシーを1日契約でチャーターした。あの時、本当はもう少し落ち込んで頭を整理する時間が欲しかったくらい落ちるとこまで落ちていた。
行くと馬鹿みたいにまた燥ぐ、笑
感じるものは少なかった。悲しかったから
自然は街よりいい。癒される
そうだ、島に行こう。異論は認めなかった